近藤勇は、幼少の頃から源義経、楠木正成などの武将が登場する軍談を読み聞かせられていました。中でも、三国志に登場する「関羽」に並々ならぬ憧れを抱き、その時分は関羽が存命していると思いながら育ったといいます。
近藤と関羽には共通している点があります。それは、一人の主に忠義を貫き通したということです。
関羽は身代わりに捕虜となって劉備を守り続け、曹操など、他の人物に仕えることはありませんでした。そして近藤も、新選組の局長となってからは会津や幕府に忠義を尽くしました。
負けることがわかっている戦に挑み、最終的には打ち首に処されてしまいます。これは関羽の死に際とも非常に似通っており、このことから近藤にとって、かの武将は師にも近い存在だったと考えられます。
近藤勇といえば、こぶしを口に入れられるほどの大口だったといいます。大口と関係があるか…はわかりませんが彼にはこんな大食いエピソードが残っています。
あるとき、近藤は支援者である佐藤を訪ねて、現在の神奈川県相模原市にあった上溝を訪れました。その際に佐藤家で、佐久間象山の門弟である蘭方医の鷹取胖斉に出会いました。彼も近藤に負けず劣らずの大男だったとされています。
佐藤の提案により、2人は「とろめしの大食い競争」をすることとなりました。とろめし好きだった近藤は19椀を食べたそうですが、鷹取の20椀には及ばず惜しくも敗北したそうです。
とはいえ両者とも大食いであったので、現代であれば大食いタレントやYouTuberになっていてもおかしくないですね。