沖田総司と聞いて、まず思い浮かべるのが「人当たりの良い好青年」「剣術の達人」「夭逝した美剣士」というものの方は少なくないはずです。しかし、普段はニコニコしていた沖田も剣を指導する場になると、途端に荒っぽく怒りやすくなったといいます。
「太刀を損じれば、小刀を使いなさい。小刀を損じれば鞘で、鞘を損じれば素手で戦いなさい。戦場では誰も待ってくれないのです」
これは沖田総司の名言の一つです。武器がなければ戦えない、それまで、という掛け声があるというのは稽古の時に限った話で、命がかかった戦場では何があっても敵は待ってくれません。
厳しい言葉のようにも思えますが、門弟が実戦で命を落とさないように、という沖田の優しい心遣いが感じられる言葉なのです。
沖田総司は新選組の隊士でも特に、新選組や近藤勇を愛していました。
沖田の剣術の型は師匠である近藤と瓜二つで、掛け声まで似ていたと言われています。そんな近藤や新選組に敵対したものに対して、沖田は一切の容赦もなく攻撃的になったとされています。
沖田がいかに近藤や新選組を大切に思っていたのかが伝わってくる逸話です。
沖田総司は「病弱で色白の美剣士」として、創作の世界のなかではすっかりキャラクターが定着していました。それだけに、沖田のものとされる肖像画を見て衝撃を受けた人も多いのではないでしょうか。
この肖像画は、沖田総司の姉ミツが、自分の孫が沖田総司に似ていると証言したことから、その孫をモデルに1929年(昭和4年)に描かれたもので、沖田総司本人ではないのです。
しかし、残念ながら新選組関係者による証言でも、「美青年であった」という記述はありませんでした。