斎藤一
斎藤一
1844-1915
商品一覧

生い立ち

1844
播州・明石藩の足軽だった山口右助とますの間に次男として生まれる
1862
些細な喧嘩で旗本某を斬殺してしまう
1863
新選組に入隊する
1864
池田屋事件(池田屋騒動)で土方歳三隊の一員として加わり、活躍する
1865
新選組三番隊組長になる
1867
御陵衛士に間者(スパイ)として入隊する
1869
戊辰戦争終結後、斗南藩領の五戸に移住する
1874
東京に移住し、警察官となる
1892
警察官を退官する
1915
胃潰瘍がもとになり死去(享年72歳)

エピソード

斬り合い体験談

明治・大正期の小説家「子母澤寛」(しもざわかん)が記した「新選組遺聞」のなかで、斎藤一本人の貴重な実践記録の談話が採録されています。
斉藤によると、実際の斬り合いの場では「相手がこう来たら、こう払ってこう返す、こう切り込んでいくなどということは不可能」であり、「夢中になって斬り合うのが実際」なのだとか。

左利き

斎藤一と聞いてまず、左利きの剣士が思い浮かぶ人は少なくないはずです。しかしこれは、信憑性が低い情報なのだそうです。当時は左利きで相手をするのはたいへん非常識で無礼なことで、仮に左利きであったとしても刀を握る時は右に直すのが当たり前でした。
このことから、現代の創作で斎藤一が左利きとして描かれているのは、「単純にそちらの方が格好良いのでは」という作家たちのイメージや好みによるものでしょう。

剣の腕が衰えることはなかった

晩年の斎藤一は、警視庁を退職してから、東京高等師範学校附属博物館の看守を務めました。しかし、実質的には剣道師範の役割であったとされており、斎藤一改め藤田五郎が竹刀を構えると、誰一人としてその竹刀に触れられなかったのだそうです。
新選組三番隊組長斎藤一の剣術が、晩年に至るまで衰えなかったことを証明するような逸話です。

高級居合刀 新選組三番隊組長 斎藤一拵え 鬼神丸国重
高級居合刀 新選組三番隊組長 斎藤一拵え 鬼神丸国重
新選組コンプリート帖
新選組コンプリート帖
居合刀 斎藤一の愛刀 池田鬼神丸国重写し
居合刀 斎藤一の愛刀 池田鬼神丸国重写し
斎藤一に関連する商品はこちら!