明治・大正期の小説家「子母澤寛」(しもざわかん)が記した「新選組遺聞」のなかで、斎藤一本人の貴重な実践記録の談話が採録されています。
斉藤によると、実際の斬り合いの場では「相手がこう来たら、こう払ってこう返す、こう切り込んでいくなどということは不可能」であり、「夢中になって斬り合うのが実際」なのだとか。
斎藤一と聞いてまず、左利きの剣士が思い浮かぶ人は少なくないはずです。しかしこれは、信憑性が低い情報なのだそうです。当時は左利きで相手をするのはたいへん非常識で無礼なことで、仮に左利きであったとしても刀を握る時は右に直すのが当たり前でした。
このことから、現代の創作で斎藤一が左利きとして描かれているのは、「単純にそちらの方が格好良いのでは」という作家たちのイメージや好みによるものでしょう。
晩年の斎藤一は、警視庁を退職してから、東京高等師範学校附属博物館の看守を務めました。しかし、実質的には剣道師範の役割であったとされており、斎藤一改め藤田五郎が竹刀を構えると、誰一人としてその竹刀に触れられなかったのだそうです。
新選組三番隊組長斎藤一の剣術が、晩年に至るまで衰えなかったことを証明するような逸話です。