今川家の人質として孤独な一生を送るはずだった竹千代。しかし移送中に織田家に強奪されてしまう。
父に仕えていた旧臣たちと再会、松平家再興の思いを受け一国の主として生きることを決意する。
桶狭間の合戦に乗じて三河の城を取り戻すことに成功するが、それは武田信玄や豊臣秀吉、石田三成そして真田昌幸らが立ちふさがる苦労とピンチの連続の始まりでもあった。
松平竹千代(幼名)→ 元信(初名) → 元康 → 家康 → 徳川家康
輩行名:次郎三郎、狸親父 武蔵大納言、大御所(将軍引退後)、神君(死後)
鷹狩りと薬作りが家康の趣味として有名ですが、他にも猿楽、囲碁、将棋、香道があります。好きなものは南蛮銅やコンパス、鉛筆、眼鏡などに興味を惹かれその中でも時計が好きで砂時計や日時計を所有しており、日本最古の「家康公の洋時計」が現存しています。
桶狭間の戦い以降、敵対することになった武田信玄に苦しめられた徳川家康ですが、同時に尊敬する人物でもあったようです。戦術はもとより政治手腕など信玄から学ぶべき部分も多く、元武田氏の遺臣たちを家臣に組み込んでいます。信長のように身分や序列を無視することもなく秀吉のように財力と権力にものを言わせることもなく堅実な組織作りは天下人になる前から進められてきました。家康は倹約家としても知られており、倹約によって莫大な財産を築いたとも言われています。