伊達政宗
伊達政宗
1567-1636
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生い立ち

1567
米沢城主伊達輝宗の嫡男として生まれる
1571
天然痘で右目を失明する
1584
輝宗の隠居で家督を相続する
1589
摺上原の戦いで蘆名義広に勝利、東北の覇者となる
1590
秀吉の小田原攻めに参戦
1592
文禄の役で朝鮮に出兵
1602
仙台城築城
1614
東軍で大坂冬の陣に参戦
1615
東軍で大坂夏の陣に参戦
1636
江戸で病死(享年70歳)

エピソード

-独眼竜の知略-

奥州一の実力を持ちながらも、天下を取ることが出来なかった政宗。しかし、時の天下人と渡り合ったその外交手腕は見事であった。

秀吉よりの命令である小田原参陣に遅れる事件が起こった。実母・保春院が弟・小次郎に跡目を継がせるために正宗暗殺計画を企て、政宗は辛くも命拾いをし弟を斬殺し、母を米沢に追放した。そのため参陣が半年も遅れ、激怒した秀吉に首を討たれるかもしれないという時、政宗は決死の演出を試みる。

髪をかぶろにし、死装束の扮装で陣営の臨んだ。しかしながら対面はゆるされず、箱根・底倉に監禁される。その時前田利家に「田舎者ゆえ礼儀をわきまえない。千利休に茶の湯を習いたい」と願い出る。茶の湯を愛する秀吉に対する芝居である。秀吉は政宗に興味を持ち謁見を許され、大名として存在を認められた。政宗の芝居が見事に図に当たった。

「仁に過ぎれば弱くなる。 義に過ぎれば固くなる。 礼に過ぎればへつらいとなる。 知に過ぎれば嘘をつく。 信に過ぎれば損をする」

人を思いやる気持ちが強くなると意見も言えなくなる。義理を重んじればと頑固になる。礼も過ぎれば無礼になる。弁が立つ人は、ともすると騙そうとする。信用し過ぎると裏切られる。」という意味で、秀吉・家康と対峙した時に「天下人の力」知り、胸の中では高い志を持ちながら、日常の行動を戒める言葉である。

「馬上少年過ギ、世平白髪多シ、残躯ハ天ノ赦ス所、楽シマザレバ是レ如何」

馬の上で活躍した青春の日々は遠く過ぎ去った。 世は天下は泰平。髪の毛もすっかり白くなった。 戦国の世を生き延びたこの身。これを楽しまないでどうしようか。


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